御挨拶

 人間は陽気ぐらしをするためにこの世界に生まれてきました。

 ですからどのように厳しい節も、諭達第三号でお聞かせいただくように、

「時として、親神様は子供の行く末を案じる上から、様々なふしを以て心の入れ替えを促される。しかし、

とのような事をするのも月日にわ  

たすけたいとの一ちよはかりで(十二 78

と、全ては、ひたすら一れつ人間をたすけてやりたいとの親心からであると仰せられる。

  あらゆる災厄や難渋は胸の掃除を求められる親心の表れである。」と思わなければなりません。

しかしながら、なかなかそう思えない哀しい時があります。

大事な人の死に出会った時です。

大切な人を亡くした時、人は全てに絶望します。

節の中に込められた親心を探す気持ちにもなれません。

 時を待つしかない時があるのです。

時がいずれ悲しみを和らげてくれるのを・・・。

そんな時のことを、茨木のり子さんは、次のように書きました。

○古歌  茨木のり子

古い友人は/繃帯 (ほうたい)でも巻くように/ひっそりと言う

「大昔から人間はみんなこうしてきたんですよ」

 

素直に頷く/諦められないことどもを/みんななんとか受け止めて/受け入れてきたわけなのですね

 

今ほど古歌のなつかしく/身に沁み透るときはない

読みびとしらずの挽歌さえ/雪どけ水のようにほぐれきて

 

清冽の流れに根をひたす/わたしは岸辺の一本の芹

わたしの貧しく小さな詩篇も/いつか誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか

 大昔から人々はその悲しみを何とか受け入れてきたのです。受け入れるしかなかったのです。

 そんなあなたの哀しみを少しでも濯(あら)うことができるように、何篇かの歌や詩やエッセイを集め、こんな小冊子を編んでみました。

 お読みいただければ嬉しく思います。

 

                          

 

一、辞世を集めてみました。

○宗鑑はどちらへと人の問ふならば 

 ちと用ありてあの世へと云へ  山崎宗鑑

○このよをばどりゃお暇(いとま)

 線香の煙とともに はい左様なら

                十返舎一九

○家もなく妻なく子なく版木なく

 金もなければ死にたくもなし  林子平

○我死なば焼くな埋めるな野にすてて

 飢えたる犬の腹を肥やせよ 歌川広重(安藤広重)

○なよ竹の風にまかする身ながらも

 たわまぬ節もありとこそ聞け  西郷千恵子

○つひにゆく道とはかねて聞きしかど

 昨日今日とは思はざりしを   在原業平

 辞世にはどことなく明るさがあります。

 それは死が本当につらいのは本人よりも残されたものだからです。ですから死にゆく人は残されたものの悲しみを思います。

○父君よ今朝はいかにと手をつきて

 問ふ子を見れば死なれざりけり 落合直文

○隣室に書(ふみ)よむ子らの声きけば

 心に沁みて生きたかりけり   島木赤彦

 そして残された者も、何を見てもその人の事を思いだすのです。

 

○其子等に捕へられむと母が魂(たま)

蛍と成りて夜を来たるらし 

            窪田空穂(くぼたうつほ)

 幼い子供たちは愉しげに蛍を追っています。その子供たちに捕えられようとして妻の魂が蛍となってきたのだろうというのです。亡き妻があとに残したこの子たちに、どんなに心を残したか、そう思って夜空を飛ぶ蛍の光を追っている作者の切ない思いが心に響きます。

 

○青空のもとに楓のひろがりて

 君亡き夏の初まれるかな     与謝野晶子

 君がいなくなっても、去年と同じように夏がやってきます。もちろん来年もまた同じように。季節は、君がいないことなど、まるで関係がないように繰り返します。

 けれど私にとってそれは、ただの夏ではありません。これからは永遠に「君亡き」という限定つきの夏なのです。


 

二、両親・兄弟そして友人の死

 

○悲しみ   石垣りん

私は六十五歳です。

この間転んで

右の手首を骨折しました。

なおっても元のようにならないと病院で言われ

腕をさすって泣きました。

お父さんお母さんごめんなさい。

 

二人とも、とっくに死んでいませんが

二人にもらった身体です。

今も私は子供です。

おばあさんではありません

 

 宮沢賢治は最愛の妹とし子との別れを次のように歌いました。

○永訣の朝(えいけつのあさ)    宮沢賢治

けふのうちに

とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ

(中略)

 ああとし子

死ぬといふいまごろになって

わたくしをいっしゃうあかるくするために

こんなさっぱりした雪のひとわんを

おまへはわたくしにたのんだのだ

ありがたうわたくしのけなげないもうとよ

わたくしもまっすぐにすすんでいくから

   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)

  中略

ああ あのとざされた病室の

くらいびゃうぶやかやのなかに

やさしくあをじろく燃えてゐる

わたくしのけなげないもうとよ

この雪はどこをえらばうにも

あんまりどこもまっしろなのだ

あんなおそろしいみだれたそらから

このうつくしい雪がきたのだ

(うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる)

おまへがたべるこのふたわんのゆきに

わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが天上のアイスクリームになって

おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

 

 友人の突然の死に

○あなたはそこに       谷川 俊太郎

あなたはそこにいた 退屈そうに

右手に煙草 左手に白ワインのグラス

部屋には三百人もの人がいたというのに

地球には五十億もの人がいるというのに

そこにあなたがいた ただひとり

その日 その瞬間 私の目の前に

 

あなたの名前を知り あなたの仕事を知り

やがてふろふき大根が好きなことを知り

二次方程式が解けないことを知り

私はあなたに恋をし あなたはそれを笑いとばし

いっしょにカラオケを歌いにいき

そうして私たちは友だちになった

 

あなたは私に愚痴をこぼしてくれた

わたしの自慢話を聞いてくれた 日々はすぎ

あなたはわたしの娘の誕生日にオルゴールを送ってくれ

わたしはあなたの夫のキープしたウィスキーを飲み

私の妻はいつもあなたにやきもちをやき

私たちはともだちだった

 

ほんとうに出会ったものにわかれはこない

あなたはまだそこにいる

目をみはり私をみつめ くりかえし私に語りかける

あなたとの思い出が私を生かす

早すぎたあなたの死すら私を生かす

はじめてあなたを見た日から

こんなに時が過ぎた今も

 

 三、配偶者の死

歳月は、人の悲しみをそれでも随分和らげてくれます。でもそうはならない別れもあります。

 

○配偶者の死は、その存在がかたわらからなくなることに加え、これまで自分が最もつらく悲しい時無条件に受け止めていてくれた胸を失うという二重の悲しみを背負うことになる。(若林一美)

 

 どんなに別れたくない夫婦でも、同じ時に死ぬことはできません。

○終わりなき時に入らむに束の間の後前(あとさき)ありや 有りてかなしむ  土屋文明

 土屋文明は愛妻を一夜の病で亡くしたそうです。 

何十億年と言う地球の歴史の中で、人間の一生などはほんの一瞬に過ぎないかもしれません。現実主義者であった文明ではありますが、後に残された悲しみは、たとえようもなくつらいものだったのです。

そして、先に死ぬ方が幸せなどと元気で語っていた去年のことが実際になると本当に遊びのようなものだったなあと思う現実があるのです。

○先に死ぬしあわせなどを語りあひ

 遊びに似つる去年(こぞ)までの日よ 清水房雄

 

永田和宏と、河野裕子という歌人夫妻は、河野裕子を亡くした時を次のように歌いました。

一日が過ぎれば一日減ってゆく君との時間 

 もうすぐ夏至だ       永田和宏

○手をのべてあなたとあなたに触れたきに

息が足りないこの世の息が  河野裕

 

妻が身近な人が亡くなる年は、梅酒がうまく出来ないという話をよく言っていました。そういえば父が出直した年の梅酒は、確かに失敗していました。ですから私は梅酒に思い入れがあります。

○梅酒  茨木のり子

梅酒を漬けるとき

いつも光太郎の詩をおもいだした

智恵子が漬けた梅酒を

ひとり残った光太郎がしみじみと味わう詩

そんなことになったらどうしよう

あなたがそんなことになったら……

ふとよぎる想念をあわててふりはらいつつ

毎年漬けてきた青い梅

 

後に残るあなたのことばかり案じてきた私が

先に行くとばかり思ってきた私が

ぽつんと一人残されてしまい

梅酒はもう見るのも厭で

台所の隅にほったらかし

梅酒は深沈(しんちん)と醸(かも)されてとろりと凝(こご)った琥珀(こはく)いろ

 

八月二十八日

今日はあなたの誕生日

ゲーテと同じなんだと威張っていた日

おもいたって今宵はじめて口に含む

一九七四年製の古い梅酒

十年間の哀しみの濃さ

グラスにふれて氷片のみがチリンと鳴る

その高村光太郎の詩です。高村光太郎は、智恵子がつけた梅酒を、次のようにうたいました。

 

○梅酒  高村光太郎
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は
十年の重みにどんより澱(よど)んで光を葆(つつ)み、

いま琥珀(こはく)の杯に凝つて玉のやうだ。
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、
これをあがつてくださいと、
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
もうぢき駄目になると思ふ悲に
智恵子は身のまはりの始末をした。
七年の狂気は死んで終つた。
(くりや)に見つけたこの梅酒の芳(かを)りある甘さを
わたしはしづかにしづかに味はふ。

狂瀾怒濤(きょうらんどとう)の世界の叫も
この一瞬を犯しがたい。
あはれな一個の生命を正視する時、
世界はただこれを遠巻にする。
夜風も絶えた。

 

 女の人にはこんな詩もあります。

 

○悲しめる友よ  永瀬清子

悲しめる友よ

女性は男性よりさきに死んではいけない。

男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するであろうか。

聖書にあるとおり女性はそのとき必要であり、それが女性の大きな仕事だから、あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男より弱いものであるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、様々に考えられているが、女性自身はそれにつりこまれることはない。

 

これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、女子大学では教えないだけなのだ。

 

 

 

 

 

四、子供の死

配偶者の死は、残された人に耐えられない哀しみを残します。そしてさらに納得できない、子供の死を歌った詩です。

 人はまた春が来ると言うのです。

しかしその春の中に、あの子はいないのです。

○また來ん春……中原中也

亡き兒文也の靈に捧ぐ

 

また來ん春と人は云ふ

しかし私は辛いのだ

春が來たつて何になろ

あの子が返つて來るぢやない

おもへば今年の五月には

おまへを抱いて動物園

象を見せても猫(にゃあ)といひ

鳥を見せても猫(にゃあ)だつた

最後にみせた鹿だけは

角によつぽど惹かれてか

何とも云はず 眺めてた

ほんにおまへもあの時は

此の世の光のたゞ中に

立つて眺めてゐたつけが……

小林一茶は、五〇歳の時、一歳の娘を亡くした時次のように歌うしかありませんでした。

露の世は露の世ながらさりながら  小林一茶

歌人五島美代子さんは、愛娘ひとみさんを東大在学中に亡くします。そしてその悲しみを次のように歌います。その死が、自死であったから、自分のせいではないかと悩みます。あの時、冗談のように聞こえた「ひとみいい子でしょう」という問いかけがあったことを思い出します。                 

○ひとみいいこでせうと言ひし時           いい子とほめてやればよかりし                            

○空が美しいだけでも生きてゐられると       子に言ひし日ありき 子の在りし日に       美しい空を見るだけで生きていけるのは、子がいてくれたからこそなのです。            子供を失う親の悲しみは本当につらいものです。 

○わが妻は吾子の手握り死にてはいや      死にてはいやと泣きくるひけり    木下利玄

同じ子供の死にもさまざまな悲しみがあります。  まだ見ぬ子を見ぬままに失うこともあります。

何も知らない

あなたの笑顔 知らない

あなたの笑い顔 知らない

あなたの好きな遊び 知らない

あなたの好きな食べ物 知らない

なぜ 知らないの

母なのに 

そして善意の言葉がその人を傷つけることがあります。

○見えない死、抱くことのなかったわが子であるから、悲しみの度合いが少ないのではない。むしろ抱けなかったからこそ、またちがった悲しみを背負っているのである。ところが日本の社会では死産や流産によって別れた見ることのなかった子どもに対する悲しみがあることすら認識されていない。

 そのためか、医療者や家族からの次のような「思いやり」の言葉によって、傷つく人がいることに気づかぬ人も多い。

 「いつまでも死んだ子のことばかり考えてメソメソしていてはだめ。一日も早く元気にならなくては

 「若いのだから、すぐに次の子が授かるわよ。早く気持ちを切り換えなさい」

 「お母さんが暗い顔をしていたら、他の家族がかわいそう。早く笑顔をみせてちょうだい」……。

時が経つうちに、気持ちの切り換わることもあるかもしれないが、死の悲しみの直後、笑ったり、明るくせよとは、ずいぶん心ない言葉なのである。

 もし次に他の子どもがうまれたとしても、その子はその子であり、今は「この子の死」が悲しいのだ。そして悲しみは死によってのみもたらされるとはかぎらない。たとえ見ぬ子ではあっても、母は自らの体内で、生命を育くみ、胎動を感じ、語りかけた実感がある。

そのうえ、妊娠がわかった時から、その子へさまざまな夢や期待もかけもしただろう。それらがすべて、一瞬にして消えさったのだ。共に暮らした年月が長ければ、たしかに多くの思い出を共有し、思い出があるがゆえにつらいこともある。過去を思い出という言葉でしめくくるなら、まだ見ぬ子に託されていたのは、思い出の少ない分を補ってあまりあるような未来へと続く夢や想像である。しかし今その夢の喪失によって深く傷つくのである。(若林一美)

 

破壊されそうな悲しみの中に、人は立たねばならない時があるのです。そして何気ない言葉に深く傷つくのです。

とくに仲の良い母と娘であった。そのことを知る多くの友人たちから、彼女の身を案じての電話や、慰めが寄せられた。しかし逆に人の言葉によって傷つくこともたびたびであった。

「あんなに大切になさっていたお嬢様が亡くなり、さぞおつらいことでしょうね。

私だったらきっと気が狂ってしまいます」

 こういった発言が悪意から出たものとは思えないが、悲しみの当事者には、するどい刃物のようにつきささる。「気が狂えたら、どんなに楽かと思うこともある」が、それを言い返す気力もない時、人は一方的に傷つくしかないのだろうか。(同右)

 

五、悲しみの傍らで

そんなときはこう考えてみるのも一つの方法です。

 

○元気で長生きしている人たちはいわば「エリート」ですからね。ふつうは自慢話をすると嫌われる立場でしょう。しかも、自分が立てた作戦が成功して長生きしたわけでもありませんからね。たまたま長生きしたことを自慢してはいけません

(思い通りの死に方 中村仁)

 

○世間(よのなか)は霰(あられ)よなう        笹の葉の上のさらさらさつと 降るよなう 閑吟集

 

そして、悲しみは人を少し変えてくれるのです。

天理教は人間は、生まれ変わるのだとお聞かせいただきました。そして死とは「古き着物を脱いで新しい着物を着るようなものやで」と・・・。

 

○をみなにて またも来む世ぞ生(うま)れかし

花もなつかし月もなつかし  山川登美子

○生きかはり死にかはりして打つ田かな     村上鬼城

どうしようもない悲しみの中で人はふっと気づくのです。命の流れに

 

○さくら 茨木のり子

 

ことしも生きて

さくらを見ています

ひとは生涯に

何回ぐらいさくらをみるのかしら

ものごころつくのが十歳ぐらいなら

どんなに多くても七十回ぐらい

三十回 四十回のひともざら

なんという少なさだろう

もっともっと多く見るような気がするのは

祖先の視覚も

まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)立つせいでしょう

あでやかとも妖しとも不気味とも

捉えかねる花のいろ

さくらふぶきの下を ふららと歩けば

一瞬

名僧のごとくにわかるのです

死こそ常態

生はいとしき蜃気楼と

 

○おぢばからの帰り、交通事故によって一瞬の内に夫と息子を亡くした人の話を父から聞いたことがある。

 主人である会長の訃報を聞いた妻は、神殿に走り、気が付けば教祖の御社を両手でもって

「どうして!どうして!」と泣き叫んでいたそうである。

どれぐらいの時間が過ぎただろうか。

ふと教祖のひながたが心に浮かんできたそうである。

夫を亡くし娘を亡くし、大切な長男夫婦さえも亡くした教祖のひながたが・・・。

 「おやさま」

 こんなに教祖のひながたがありがたかったことはありません。と、その人は父に涙ながらに語ったそうである。

 

どんなにつらく悲しくても、人は死を受け入れるしかないのです。

 人が死んで、それでもなお、その人が、自分の中に生きていることに気付いた時、自分は一人ではないという感情が生まれてきます。

 そのことが人を慰めます。

そしてそうすることによって何かを見つけることもあるのです。

 

 ○苦しみの日々 哀しみの日々  茨木のり子

苦しみの日々

哀しみの日々

それはひとを少しは深くするだろう

わずか五ミリぐらいではあろうけれど

 

さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが 

なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

あれは自らを養うに足る時間であったと

 

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう

人の痛みも 柘榴(ざくろ)のような傷口も

わかったとてどうなるものでもないけれど

(わからないよりはいいだろう)

 

苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである

 

受けとめるしかない

折々のちいさな刺や 病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには

自己省察の要素は皆無なのだから

 

○人間は受苦によって成長しますが、気を許すと人格までが破壊されます。今は苦しみと対抗して、何とか魂のほうが優位に立つことが、私のささやかな生きがいになっています。いやいや、まだ破壊はされてはいないぞと、毎日勝利宣言をしているのが心の支えになっています。 (言魂 石牟礼道子)

 

六、年をとるということ

 年をとるということは、辛いことです。でも身体が神様からの借り物であるなら、年をとっていくことも神様の意思なのかもしれません。

 

○老人ホームはさまざまな人生が詰まっています。これを見ると、障害者である私は、できるなら楽に苦しまずに死にたいなどというずるい考えは捨てて、「老い」というものに必然的に伴う「苦しみ」を引き受ける覚悟を特たなければならないと思いました。

 それが「生老病死」の必然的ルールなのだと悟ったのです。楽にぽっくりと死ぬというのはずるい考えです。           (言魂 多田富雄)

 

私の知るある人は肝癌の末期で絶え間のない腰痛に悩まされていたが、鎮痛剤を拒否して苦痛のうちにひたすら忍耐の日々をすごしていた。彼の姿は見る者の目に痛々しく映ったが、それが(宗教的な)信念の実践であることを知るにつれ、その姿は近寄り難い威厳を帯びるものとなっていった。彼はおそらく納得のゆく最期の瞬間を迎えられたことと思う。これもまた彼にとっては尊厳に満ちた死に方であったであろう。苦痛を忌避するばかりのこの時代に、こんな末期を過ごした人もいることをぜひ読者の皆さんに知っていただきたい。(尊厳死とリビングウイル  澤田愛子)

 

そしてそれは生き方の覚悟になるのかもしれません。

 

○すすき一本 倒れた方が前である  福井文明

 

「死ぬ時にはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい」坂本竜馬の言葉として流布しました。

倒れた方が前であるならば、生きるということはそういうことなのですね。

 若くして亡くなった「かんだいさみ」さんは、このように歌いました。

○僕はまだ生きられる

僕はまだ生きられる

どんな悲しみの中にあっても

どんなにからだ虫喰われても

ぼくはまだ何かできる

どんなに明日が約束されてなくても

どんなに希望がつまらぬ自分のようでも

 

僕はまだ生きられる

過ぎていく今を

命ゆるされる限り

僕に求めるものがある限り

 

僕はまだ生きられる

自由に体が動いてくれなくても

「自由に自由に自由に・・・・

体が体が体が・・・・」働いてくれなくても

 

僕にはたった一つ虫喰われないところがある

他人ではない僕がある

そこには喜怒哀楽がある

そうして僕はペンを走らす

そうして僕は言葉を生かす

「僕は生きているんだ」

知らず知らずの間に虫喰われる体に負けまいと

過ぎていく今を

短くなったローソクの最後の魂・・・

かんだいさみ 詩集ピエロの歌

筋ジストロフィー 昭和52年秋 享年19歳

 

 誰もが苦しみや悲しみを厭(いと)いますが、苦しみや悲しみに当たった時、それによって人は少しずつ成人していくと思えばいいのでしょうか。

 天理教は節から芽がでるとお教えいただきました。

 神様の満足と人間の思いはこんなにも違います。

 

 その象徴的なおさしづ、本席様の最後のおさしづを引用します。

 

○もう十分の満足をして居る。

席は満足をして居る/\。又今一時席の身上の処差し迫り、どうであろうこうであろうと、困難の中で皆心を合わせ、もう一度十年何でも彼でもというは

なか/\の精神。その精神というは、神の自由受け取りたる精神。何も皆、身上は成っても成らいでも案じてくれる事要らん。篤(とく)と心を鎮め。皆々心勇んでくれ/\。明治四十年六月九日(陰暦四月二十九日)午前九時

 本席様の病気を案じて人々は、「昨日分支教会長普請の事に付会議を開き、本席の御身上も普請の上から御苦しみ下さる事でありますから、部下教会長一同わらじの紐を解かず一身を粉にしても働かさして頂き、毎月少しずつでも集まりたるだけ本部へ納めさして頂く」と心を定めます。

そのことに対するおさしづです。

「もう充分に神も満足し、本席も満足している。困難の中で、皆が心を合わせ「せめてもう十年間はどうでもこうでも元気でいていただきたい」と念じ心を定めてくれたのは、誠に大切な精神であり、神の自由の守護をしっかりと受け取り心に定めた精神である。

本席の病気が結果として、よくなってもならなくても、決して心配することはない。しっかりと心を鎮め、みんな勇んで通ってくれ」というこのおさしづの数時間後本席様は静かに出直されます。

病気という私たちの一番の関心事に対して神様は、なってもならいでも、良くなってもならなくても案じることはいらないとおっしゃるのです。それよりも何よりもこの節に対してみんながどのように悩み、考え、心を定めることを受け取って下さるのです。

どんな節にもこのことが私たちの判断の基本になるのだということを忘れないようにさせていただきましょう。